ぼくは猟師になった 千松 信也

ズームイン服で紹介されていた猟師の本。京都大学を卒業して運送会社で働きながら自宅の裏山でイノシシをとって生活をする。羨ましいと思える反面、同じ生活はできないと思えるような。ただ、その実現可能性を取り除いても、動物を取って食べるという事とは自分は少し離れているような気がした。育てて食べるの方がなぜかしっくり来るし、植物のほうがしっくり来る気がする。理由はわからないけど、好きなモノを育ててそして食べるっていうほうが自然なんじゃないかと思う。この著者にとっては、山の動物を狩猟しておいしくいただくというのが自然の行為なんでしょう。私がそれに参加をするのなら育てた何かを持ち寄ってイノシシの肉をいただく。それが非効率な交換出会った場合に山に入り狩猟に励む。やりたいことから必要性が生じてやりたくは無いこともやる。その延長線上が貨幣経済で仕事をするというところに行き着くような気もする。

お金を否定しているわけでは無いけれども、それに著しく偏っている社会が貨幣自体にあたかも価値があるかもように語られてしまう。貨幣価値を生んでいるのは、猟師や農家から始まって、それからどれくらい離れた事を仕事として交換価値を生んでいるか。馬力のようにイノシシ肉キログラムに変えた資産価値算定を考える。そう考えれば、社会で意味もなく会社にいて、偉そうな風で自席に座っているだけでもイノシシ肉が食える。要するにみんなが働くことが必要ではない社会になっているんだから、まずはそこから認めていくのが良い気がするな。虚業ならぬ、虚サラリーマンがそれを知っても、おそらく虚勢が増すだけなんでしょう。それはともかく、自分の仕事の虚の率を知って、実の率とのバランスを測るのは、同時に社会と会社、いろんなバランスに関わってくるように思われた。